どうせ死ぬなら美しく

天竺鼠の漫才の掴みで川原さんが「人は皆死ぬ」のようなことを言っている回がありましたね。昔から芸術のテーマとして、メメント・モリだったり現代的な言い回しで言うのであれば #YOLO だったりするのです。

 

死ぬという事実は際限ない恐怖ではないですか。気が付かないフリをして生きていますがめちゃくちゃ怖いです。どうなるかわからないから怖いし、自己が消滅することも怖いし、自らが永久に永らえることも怖いし、書きながら怖くなってきました。

 

それでも、なお世の中で自殺を選んでしまう人がいるのもまた事実。生きている事の方が辛いので手段としてそういった道をえらぶのでしょう。そこまで何かに追い詰められてる心中は当事者でない私が到底理解できるものではなく死こそが手段として最善であればその行動を無条件で糾弾することはできません。生前の彼ら、彼女らの選択の上で迷ったうえでの意志をむやみにけなすのはあまりに不作法だと思います。

 

不謹慎な話ですし、倫理的でもあるのですが、Twitterなんかで自殺を配信する人の映像なんかありますよね。その上で死ぬのであれば美しく死にたくないですか。良く言うのは首を吊ると筋肉が弛緩し、腸が出てくるとか言いますよね。そういった不可抗力をきれいにしたいという話ではなく美しく散る手段を探したいですよね。

 

自殺という手段を選んで人生を自ら締めるのであれば、そのタイミングは自ら決めれるので色々整えられるのでしょうか。私にはそこまでの覚悟がないから緩いことを言ってられるのかもしれませんが、個人的には自分で死ぬのなら体はちゃんと洗いたいし、服もちゃんと着て、文章も頑張って書いてお別れしたいです。ちゃんと無駄な脂肪も落として、整えたいですよね。こういったブログなんかもしっかりPCの履歴から消してネットの海に完全に放流したいですよね。

 

そう考えると事故死だったり、急病だったりでタイミングを選べないパターンもありまよね。それも予知するとやはり、マイルドヤンキーマインドで楽しんだもん勝ち♪的な心の持ちようが最強なのかもしれません。やっぱり湘南の風を毎日聞いてドルチェ&ガッパーナの香水をして、bbを買ってボンネットにファーを垂らし、クローズを全巻読み、子供には東京卍リベンジャーズを全巻買い与えるべきです。そうすればいつでも死ねます。取りあえず喫煙可能の若い兄ちゃんのやっているショットバー行ってナンパしてくるところから始めようと思います。よろしくお願いします。