誘い誘われること

私は典型的なメディアが問題視をするタイプの若者ではないので2ヶ月間不要不急な外出はしませんでした。夜の街的な男女がああだこうだの趣味もありません。

 

それでも、自粛明けました!遊びましょ!!!としたいです。買い物行くのも、ご飯食べるのも、酒飲むのも、ゲームするんもなんだって好きです。やってみてから娯楽は考えるタイプです。めちゃくちゃいろんな遊びためてた分を発散したいです。

 

私のことを誘ってくれる人は大好きです。絶対に断らないのでフットワークの軽さを見せることができます。プライベートなことをするときに読んでくれるというのはその日のその空気が私がいることで有意義なものになると期待してくれている事実がとてつもなく嬉しいのです。また、このご時世に誘ってくれるということは自粛開けた直後に遊んでほしいと思ってくれてる事実が本当に嬉しいです。

 

一方で遊びに誘うことのハードルが一気にあがっています。そもそも感染者の方がまだいて、完全な収束と思えないこの時期に遊びに誘った場合に断られると、本当にそういった状況で遊びたいと思ってるのどうなのとか思ってる人を誘うとお互い嫌な気持ちになりそうです。

そもそも遊びにどうやって誘えばいいのでしょう。その方法さえも忘れてしまいました。遊びに行ったら行ったで向こうが全然乗り気じゃなかったらどうしようとか思います。

自粛期間は特に何もしてないなとか、別に普通だよ。みたいな全く脈のない返しされたらとか考えたら辛いです。自粛明けを口実にこいつ誘ってきたなとか、自粛明けすぐに誘うとかどんだけ友達いないねんとか、愛の重さが相手と比例しない可能性も十分に考えられます。

 

軽い気持ちで日頃遊んでくれる友人に連絡したら東京アラート解除まで待ってねと言われました。私なら確実に遊びに出ていましたが、そういった個人の芯の強さを持っている友人のブレない姿に尊敬の念を抱きました。それと同時に、遊びに誘った私の罪深さ、誘ってきたことに対する失望感を抱いたのではないかと予測しています。よくお酒を飲む友達だったのですが、もう自分から誘うことはできません。大切な友人を失ってしまったのかもしれないです。

 

このことから人を誘うことができなくなってしまいました。まだ自粛を個人的に続けていく必要がありそうです。家で本ばかり読んでいます。最近は村上春樹さんの本を読んで、あの独特の文章に酔い、美味しそうなビールの描写に我慢ができなくなるのでビールを飲んで過ごしています。一人で飲酒するといまいち量も飲めないのにどんどん寂しくなってしまいます。そうなるとまたダルい絡みのラインを誰かに送ってしまうのです。次の日の朝にその文章を見つけて恥ずかしい気持ちになって悶るという流れは何回やっても治りません。後悔がエグいのでできればしたくないなと思うのですが、やってるときは楽しいのが良くないですよね。

 

この文章も途中でお酒を飲んでいました。でも新しくブログに書けばいいやという気がするので、ラインでわけわからない絡みをする前の一種の防波堤として機能しているのかもしれません。よく考えれば一人で飲むのが良くないので誰か誘ってください。私は誘えません。。