自炊の工程と自責

コロナ以前では週末は飲みに行き、平日の昼も外で調達していましたが、現在では外に出れない上にやることも無い為自炊をしているつもりです。

自炊の良い点は全てが自責であるという点です。外食であると、量が多い、価格が安い、雰囲気が良い、美味しいといった点は初めてのお店では一か八かといった点があります。自炊では食材の価格や調理時間といった点も自らのさじ加減で決めることが出来ます。

 

最近は暑くなってきた為、冷しゃぶにはまっています。

軽く茹で、水に晒しサラダの上に乗せてポン酢で食べる。作るのも簡単で美味しいので気に行いています。

 

また先日はスパイスカレーを作りました。

家にスパイスカレーを作れる香辛料などないので一式購入してとりかかりました。スパイスで玉ねぎを炒めている時はテンションが高く、作るのも楽しい良いメニューを選んだものだと感じたのも束の間、大量に作り過ぎたこと、作るのに時間がかかることに食べてる最中に気が付き、味が美味しいのも相まって私は自分一人の為に何をやっているんだと思い、両親の事を少し思い出しなにかこみあげてました。少し涙が出たのはカレーが辛かったからと思い込み事なきを得ました。

 

一人暮らしの自炊は何の苦労もありませんが人が来た時にふるまう料理は自責の範囲から抜け相手に喜んでもらえるかになる為緊張がかかります。

 

ある日家に来てくれたのは自炊の出来るという女性でした。手伝ってくれるとのことで二人で料理を作ったのですが、二人で料理を作るというのはただ食べるのではなく、調理の工程も開示するということです。なにかしら食べられるものができればいいという考え方では潜り抜けることが出来ませんでした。

 

私が野菜を洗わない、包丁の使い方が危険、調味料があまりにでかすぎるので鮮度が心配(グラム当たりが安いので大きなサイズを買う)といった点を驚かれ、私も自炊ができると言っていた手前、焦燥感を抱いていました。もしかしたら言ってるだけでこれはできるのうちに入らないのではないかと。

 

生姜焼きを作っていたのですが、色々解らなくなった結果、気が付くと薄切りの肉を水洗いしていました。今まで野菜も満足に洗っていないのに急にです。

これにはさっきより大きめな声「どうなってんの?」と指摘されました。その日の記憶はそこで止まったままです。

 

その事件から他人にふるまうご飯は決まってパスタかお鍋になりました。

いつの日か生姜焼きを振る舞うことができる日は来るのでしょうか。